ケータイ辞書JLogosロゴ 久見村(近世)


島根県>五箇村

 江戸期〜明治37年の村名。隠岐国穏地【おち】郡のうち。江戸期は幕府領松江藩預り地,貞享4年〜享保5年は幕府領大森代官所支配地。貞享5年「隠州記」では村高134石余,うち田方8町3反余で104石余,畑方16町2反余で30石余。ほかに新田畑13石余で,家数52・人口286,牛52・馬52,大船1・手安船1・トモド船38がある。寺社は禅宗久養寺・内宮大明神・山神大明神・熊野権現である。久見川にはアユが,海ではタイ・イカ・サバ・トビウオ・アラメ・ノリ・アワビ・サザエや海藻が取れる。「天保郷帳」では村高156石余。牧畑は里牧・横牧・峰牧・銚子牧の4牧がある。明治元年「隠岐国村鑑帳」には,「浦方賑いなし,風損強き所故困窮之村也」とあり,また農間に薪をとり,出雲・伯耆【ほうき】・若狭・越前へ売りに出,秋にはウルシの実を近国へ売りに出た。冬の間,織物や魚蝋をわずかに産した。同4年島根県,同年鳥取県,同9年島根県に所属。「皇国地誌」によると,田26町余・畑14町余・切替牧畑15町9反余・山林16町余で,戸数は72・人口382,うち男185・女197。雄牛10・雌牛96,雌馬18。職業は農業11・農漁業42・農業と木挽業15・工業5・鍛冶2。物産はサンマ1,200貫・サバ3,000尾・アワビ100斤・ワカメ800貫・間板900間を西郷港町へ送っている。寺はなく,郷社に伊勢命神社があり,小学校には男19人・女11人が通学していた。同37年穏地郡五箇【ごか】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7411859
最終更新日:2009-03-01




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