黒沢(中世)
南北朝期からみえる地名。石見国那賀【なか】郡のうち。三隅氏との戦闘を記した康永2年8月の「吉川経明軍忠状」(吉川家文書/大日古9)に「当国御敵黒沢山搆城墎楯籠」とみえるのが初見。同年8月20日付「上野頼兼感状」(同前)にも「黒沢城合戦」とある。元正6年7月27日付「足利義昭御内書」(同前)には「至黒沢山陣替」とあり,黒沢山にある城を黒沢城,そしてこの地域を黒沢と呼んだものと推定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7411900
最終更新日:2009-03-01