ケータイ辞書JLogosロゴ 黒沢村(近世)


島根県>三隅町

 江戸期〜明治22年の村名。石見国那賀郡のうち。江戸期を通じて浜田藩領。三隅組に属す。村高は「石見国高郷村帳」では432石余,「天保郷帳」では531石余。三島神社は天長2年河野豊前勧請,曹洞宗寿昌寺(明治22年漁山【いさりやま】村に移転)は黒沢城主三隅兼度が開祖と伝える。ほかに真宗光秀寺,同宗安養寺がある。慶応2年〜明治2年は長州藩預り地。明治9年島根県に所属。当時の「皇国地誌」では315戸・1,050人,牡牛100・牝牛63・牡馬1,物産は半紙380丸・中保紙15丸・扱苧350貫・ハゼ550貫,職業別は農303戸・木挽6・桶工3,大工・鍛冶・石工各1。江戸期より製紙業の盛んな地として知られる。明治17年野坂・木都賀【きつか】・田野原の諸村とともに4か村連合戸長役場を木都賀村に置く。明治8年民家を借りて黒沢小学校開校,間もなく村の東にも開校し2校となる(村誌)。明治22年277戸・1,142人。同年那賀郡黒沢村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7411901
最終更新日:2009-03-01




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