ケータイ辞書JLogosロゴ 下木部谷村(近世)


島根県>柿木村

江戸期〜明治8年の村名石見国鹿足【かのあし】郡のうち江戸期を通じて津和野藩領吉賀【よしか】川中流域に南流する支流木部谷川の中流の峡谷地域で,東方に弥十郎【やじゆうろう】山がそびえる村名は木部谷川の奥部に対して下流に位置することに由来する慶長7年・寛永14年の検地は木部谷村として行われた元和年間の村高は190石余,寛永14年は288石余(万手鑑)「石見国高郷村帳」「天保郷帳」では村名の記載はなく,奥木部谷村を含め木部谷村として村名がみえる下木部と中村の境に奇鹿【くしか】神社があり,木部谷全体の鎮守で,各組には地主神・山神・河内神を祭り,トシダメシといわれる一年の豊凶を占う神事が伝承されている(西石見の民俗)曹洞宗竜頭山昌谷寺があり,寺の傍の磨矢【すりや】谷には画聖雪舟が石見来訪の途次寄寓した草庵が存したという(吉賀記)明治4年の戸数50・人口186(万手鑑)同8年奥木部谷村と合併,木部谷村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412274
最終更新日:2009-03-01




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