下口羽村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。石見国邑智【おおち】郡のうち。江戸期を通じて浜田藩領。出羽組に属す。享保18年まで口羽村に含まれている。寛政年間(年次不詳)の「荘屋田桑家古文書」に下口羽村とあり,口羽村の名称を廃したと思われる。「石見国高郷村帳」では,下口羽村は口羽村の枝郷とあり,村高は579石余。「天保郷帳」では同じく枝郷と記し638石余。村内には弘仁元年豊前国宇佐八幡宮から勧請した宮尾八幡宮,永正3年に口羽下野守が願主になった臨済宗宗林寺がある。慶応2年〜明治2年は長州藩預り地。明治9年島根県に所属。同17年には上田・上口羽・下口羽・戸河内【とがうち】が4か村連合して,下口羽に下口羽村ほか3か村戸長役場を置く。同7年に下口羽小学校が開校,同20年10月口羽小学校となる。同14年4月口羽郵便局が開設。同22年の戸数217・人口1,242。同年邑智郡口羽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412276
最終更新日:2009-03-01