ケータイ辞書JLogosロゴ 常楽寺(中世)


島根県>湖陵町

 鎌倉期から室町期にみえる地名。出雲国神門郡のうち。浄楽寺・成楽寺とも書く。現簸川【ひかわ】郡湖陵町常楽寺の地。延応元年8月18日付「関東御教書」(酒井氏所蔵文書/鎌遺5467)に「出雲国園山新庄地頭之高通申境相論事 本新庄成楽寺三箇所各別也 而為二箇所地頭等致妨云々」とみえるのが初見。成楽寺(常勝寺)が園山新荘と境を接していたことが知られる。文永8年11月付「関東御教書」(千家文書/鎌遺10922)には「常楽寺十六丁佐貫弥四郎」とみえる。かつて常楽寺なる寺のあった地域が地名に転化したものと考えられ,応永2年2月9日付維円譲状(鰐淵寺文書/鰐淵寺文書の研究)には「常勝寺勘解由左衛門尉殿子息小法師丸」とあり,また文明17年6月25日付目黒彦太郎寄進状(日御碕社文書/新県史史料編1)では「神門郡常楽寺之内」の田地1反が日御碕に寄進されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412382
最終更新日:2009-03-01




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