- JLogos検索辞書>
- 代村(近世)とは
「代村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
代村(近世) 江戸期~明治5年の村名更級【さらしな】郡のうち聖山西麓,犀川右岸の緩傾斜面に位置する大岡村の枝村の一つで,寛文4年からは同村が「三組一村」に編成されたことにより根越組に属す松代藩領寛文元年御分限帳(県史近世史料7-1)には松代藩の家臣1人の給知として105石余が記される村高は,宝永年間~文政年間に105石余(更級埴科地方誌3上),「旧高旧領」では127石余文久年間の戸数25(大岡郷村誌)藩の御林が置かれたが,「県町村誌」によれば雑木・秣が多いという明治5年大岡村が4か村に分村したことに伴い根越村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
代村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡のうち岡藩領奥畑川の中流に位置する安永7年には中津留組に所属(農民一揆)寛政3年の村高51石余,うち田29石余・畑20石余,反別7町余,免4ツ7分,村位は下,門数16・人数61,牛30・馬9,鉄砲5を所有,藩の小制札所があり,字高飛には藩主の腰掛場があった(古記録)「旧高旧領」55石余明治4年大分県に所属同8年板屋村とともに奥畑【おくばた】村に合併現在の大野郡三重町大字奥畑のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」