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「新材木町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
新材木町(近世~近代)
江戸期~昭和6年の町名明治19~22年3月は松江新材木町江戸期は出雲国島根郡のうちもとは末次村の一部で松江城築城後城下の町名として起立南は大橋川に臨み,西は紙屋...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7412422]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 新材木町(近世~近代) 江戸期~昭和39年の町名江戸期は高松城下の1町城下町の東端杣場川口に沿った位置にあって,杣場川に架かる新橋の西詰までが城下町であった寛永17年の城下図に東かこ町の北に材木屋と記したところがあり,また享保年間の図には東浜の南側と東側に材木町が見え,寛政元年頃には北浜に材木町ができたので(北浜材木町),前後して杣場川側の東西に新しく材木町をつくったと思われる新しくできた材木町の意から新材木町とよばれた明治23年からは高松市の町名となる同30年頃には,古道具商1・宿屋1・木材商1・船問屋1とある(繁昌懐中便覧)杣場川口は新材木町港と呼ばれ,造船所が並び,季節には広島からのカキ船が浮かんでいた大正元年の戸数90,昭和元年の世帯数46世帯数・人口は,昭和15年末50・243,同19年末49・263,同20年7月の高松大空襲戦災に遭い,同年末5・29,同35年73・252同39年井口町・東浜町1~3丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 新材木町(近世~近代) 江戸期~現在の町名江戸期は相川の1町相川之図(佐渡志)によれば,町並みは南北に続き,南は羽田浜,北は材木町に接する相川町々書上によれば,町並み45間余,屋敷1反余,薪納屋があり敷地6畝余元禄7年検地帳では,屋敷2反余,屋敷数は東側14・西側14明治6年の人口145同22年相川町に所属昭和48年の人口29... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」