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- 高津郷(中世)とは
「高津郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 高津郷(中世) 室町期に見える郷名常陸国信太【しだ】荘のうち永享7年8月9日の常陸国冨有仁注文写に「信太庄高津郷,常福寺」とあり(続常陸遺文),富有仁として常福寺が見える江戸期には下高津に真言宗常福寺が存在する(新編常陸)「徳川実紀」慶長8年10月条に,菅谷範政が旧領の常陸国筑波郡に5,000石の加増を受けた記事の説明として,「小田原北条亡びて後,同国高津村に蟄居せし」と見える現在の土浦市上高津・下高津に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 高津郷(中世) 戦国期に見える郷名小県【ちいさがた】郡のうち天正6年の上諏訪造宮清書帳に「四之御柱 小県郡浦野庄……高津郷 弐貫文」,翌7年の同取帳にも「大宮四之御柱……小県浦野庄……高津之郷 正物弐貫百文・小役共」と見え,造宮料を負担している(信叢2)現在の上田市越戸【こうど】に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」