ケータイ辞書JLogosロゴ 竹尾村(近世)


島根県>掛合町

江戸期〜明治8年の村名「たけのおむら」ともいう出雲国飯石【いいし】郡のうちはじめ松江藩領,貞享元年以降松江藩の支藩広瀬藩領(飯石郡誌)入間【いるま】村からの分村とあるが,村の成立年は不詳村高は万治2年の検地で30石余,寛文4年以前は55石余,「天保郷帳」では56石余である小村で入間・穴見【あなみ】・竹尾の3か村が1村として扱われた耕地がとぼしく,鉄山に依存した生活が長く続き,「寛文11年亥ノ年八重山鉄山代銀五百五拾貫目ニテ掛合村小林又右衛門江二十五年季売払候」「明和四亥年竹尾村江能儀郡布部村分御鈩被打付」(田部文書)と江戸初期から鉄山との関係が深かった枝郷八重山は,松江〜尾道街道の一部にあたり,人馬の通行は頻繁であったが,八重山川の氾濫で道が流され,再三再四道普請が行われ,そのために広瀬藩領内各村から数百人の人夫が動員された(同書)八重山川と民谷川の合流地点に八重滝鈩が設けられ,大正年間まで稼行された「風土記」記載の八重山権現は,八重山(古称鷲尾【わしお】山)の中腹岩壁の麓にあり,延宝7年遷宮時の梁木記が残っている当社は牛馬の神として,石見・備後の国からの参詣者も多った文化8年の書上によると,戸数19うち枝郷八重山5戸(田部文書),人口は天保5年80,八重滝鈩山内の人口は安政5年125(男70・女55)を数えた(田部文書)明和年間から文政年間にかけて,入間村との間に吉田村田部鉄山をはさんで山境論争が展開された明治4年島根県に所属同8年入間村と合併し入間村となる竹尾の名は現行の掛合町大字入間の通称地名竹之尾として残る
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412665
最終更新日:2009-03-01




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