ケータイ辞書JLogosロゴ 多禰郷(中世)


島根県>掛合町

 鎌倉期からみえる郷名。飯石【いいし】郡のうち。建長元年6月の「杵築大社造営所注進状」(北島家文書/鎌遺7089)中に宝治2年10月27日の御遷宮神事勤仕の諸郷保として多禰上郷・多禰郷がみえる。多禰上郷は,須佐【すさ】郷(簸川【ひかわ】郡佐田町)・恒松【つねまつ】保(出雲市)とともに流鏑馬勤仕の15番の郷保としてみえ,多禰郷は,相撲勤仕の3番の郷としてみえる。文永8年11月の「関東御教書」(千家文書/鎌遺10922)には杵築大社三月会の相撲勤仕の12番の諸荘郷保として「多禰郷廿五丁一反小 多禰,日蔵別宮三丁 同上」とみえ,多禰郷と日蔵別宮を領した在地領主多禰氏の存在が確認される。南北朝期の康永年間頃には,多禰郷西部の坂本村が大社国造孝宗(千家始祖)の所領になっており,3月3日(年欠)の「左衛門尉親清・右衛門尉義政注進状」(千家文書/新県史史料編1)に「社領十二郷并多禰郷内坂本村等事」とみえる。室町期には一時闕所地であったが,応永24年5月21日の足利義持の京極持光宛て所領宛行状に「出雲隠岐両国闕所分,同国多禰郷等事」(旧県史7)とみえ,出雲国守護京極持光の所領となった。戦国期以降,多禰郷の名はみえない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412728
最終更新日:2009-03-01




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