ケータイ辞書JLogosロゴ 玉作(古代)


島根県>玉湯町

 奈良期にみえる地名。「風土記」の巻末記に「正西道(中略)又,西七里,至玉作街,即分為二道」とみえる。国庁から真西に向かう方向に7里で玉作の街に至り,道はふたまたになっていたという。この地は古くから温泉が湧き出ており,「風土記」意宇【おう】郡の条には,「忌部神戸。郡家の正西二十一里二百六十歩なり,国造【くにのみやつこ】,神吉詞奏【かむよごとまお】しに,朝廷に参向う時の御沐の忌の里なり。故,忌部という。即ち川の辺に湯を出す。出湯の在る所は,海陸を兼ねたり。仍りて男も女も,老いたるも少きも,或るは道路【くがじ】を駱駅【ゆきか】い,或るは海中【うみじ】を洲に沿い,日【ひび】に集いて市を成し,繽紛【うちむれて】燕楽【うたげあそ】ぶ。一たび濯げば形容端正【きらきら】しく,再び浴すれば,万病悉に除こる。古より今に至るまで,験を得ずということなし。故,俗人【くにびと】,神湯【かみのゆ】と曰うなり」とある。古代のころ,朝廷において新任の儀を終えて帰国した出雲国造は,この玉造温泉で沐浴潔斎した(新県史史料編1)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7412743
最終更新日:2009-03-01




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