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中吉田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7413142]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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中吉田村(近世)

江戸期~明治8年の村名小県【ちいさがた】郡のうち千曲川支流神川【かんがわ】左岸,禰津道沿いに位置する江戸期の郷帳では,下吉田村とともに吉田村として記される吉田村の南東部を占め,東端を北から南へ吉田堰が流れる上田藩領宝永3年の吉田村差出帳(上田藩村明細帳)でも,表向き吉田村として一村となっているが,その記載内容の多くは中吉田村と下吉田村に分載されている村高は,貫高で195貫287文,ほかに5貫100文は村高以外と認められ,元禄9年村高から除かれた別に切起高73石余もある家数85うち本百姓50・水呑35,人数399うち男207・女192,馬29元文4年には人数456うち男225・女231で,馬数は16匹に減少しているなお明治2年の村高家数人別帳では,再び吉田村としてまとめられ,家数116,人数591うち男312・女279中吉田村の西に吉田新町があり,承応年間には集落があったという(上田小県誌)先の宝永3年村差出帳にも,新田として13軒が見える産土神は集落の北にある吉田神社もとは神明宮と称していた寺は,曹洞宗全宗院境内の潔泉は,この地を領した武田晴信の二子竜宝が愛した清泉と伝える明治4年上田県を経て長野県に所属同8年芳田村の一部となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中吉田村(近世)
江戸期~明治9年の村名庄内地方,庄内平野北部,日向【につこう】川下流左岸に位置するはじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年からは飽海【あくみ】郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領荒瀬郷に属す村高は,元和8年の御知行目録では293石余,寛永元年の庄内検地高辻では332石余,明暦2年の検毛帳(飽海郡誌)では270石余,寛文9年の検地帳(堀家文書/飽海郡誌)では275石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ではともに325石余なお,寛文年間以降荒田を開き,「飽海郡誌」には太郎左衛門新田として48石余と見える当村は,保安年間祝部光広が常陸国(現茨城県)鹿島郡から来住して開墾したと伝えられる(出羽国風土記)寛文9年の検地帳(本楯史話)によれば,反別21町3反余,家数11軒享保9年の屋敷14軒(同前)幕末期の「弐郡詳記」によれば,免5ツ5分,家数22軒祝部光広の死後,承安年間光広の兜を埋めて兜大権現と称したその地には文永年間鹿島大神を勧請した鹿島神社がある鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年北吉田村ほか3か村と合併して保岡【やすおか】村となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

中吉田村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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