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- 野井村(近世)とは
「野井村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 野井村(近世) 江戸期~明治12年の村名宇和郡のうち宇和島藩領岩松川の支流野井川に沿って位置する津島組に属す村高は天正検地では264石,「慶安郷村数帳」では264石余,うち田235石余・畑29石余,「元禄村浦記」「天保郷帳」ともに264石余,「旧高旧領」には見えず「大成郡録」では家数40軒・人口202,うち男114・女88,牛8・馬34,鉄砲13挺,御用籔1か所,寺院は禅宗瑞応寺,神社は三社権現「 ![]() |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 野井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 野井村(近世) 江戸期~明治22年の村名石見国安濃【あの】郡のうち江戸期を通じて幕府領大森代官所支配地「石見国高郷村帳」の村高は411石余,「天保郷帳」では417石余,庄屋は恒松家村内の大稲輿命を祀る野井神社は式内社と伝えるまた曹洞宗聖寿山瑞厳寺は享保2年恒松業忠の開基慶応2年~明治2年は長州藩預り地明治8年東用田【ひがしもちだ】村・西用田村と合併し長久【ながひさ】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」