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- 日吉村(近世)とは
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日吉村(近世) 江戸期~明治8年の村名伊那郡のうち売木【うりき】川下流域に位置する心川が鈴ケ沢川へ合流し,鈴ケ沢川が売木川へ合流するはじめ飯田藩領,慶長6年からは幕府領「天正高帳」では日吉・和合として69石余「正保知行付」では日吉村として村高14石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに14石余,「旧高旧領」15石余集落は,売木川の谷間の狭小な平地と,山腹の平地に散在享保15年の宗門人別帳による戸数12,人口86うち男41・女45水田は少なく,焼畑農業が主で大豆・粟・稗などを生産している帯川村の帯川関と同時に,心川にも関所が設けられ,知久氏が守衛の命を受けていた遠州街道と三州街道を結ぶ街道を押さえる場所に位置していた毎年卯月8日,伊勢社に祀る御鍬大明神の祭りが行われる享保年間頃伊勢から伝えられたといい,豊年万作の祈願とも,また飢饉の際鎌止めをすると立願したのが始まりともいわれているこの日,鍬止めまたは鎌止めといって農耕を休む明治元年伊那県,同4年筑摩県に所属同8年旦開【あさげ】村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
日吉村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
日吉村(近世) 江戸期の地名浅井郡のうち「輿地志略」に「日吉村 大路【おち】村にあり,湯次【ゆすきの】荘の惣社也」と見える現行の浅井町大字大路の南部... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」