ケータイ辞書JLogosロゴ 広瀬(近代)


島根県>広瀬町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ旧広瀬町,昭和30年からは現行の広瀬町の大字。もとは広瀬村・広瀬広瀬町と広瀬鍛冶【かじ】町・広瀬上町【うわまち】・広瀬萱町【かやちよう】・広瀬下組町・広瀬下町・広瀬新市【しんいち】町・広瀬新町・広瀬中町の広瀬藩城下町の町場八町。明治24年,製紙伝習所を開設。同27年大洪水で町帳【まちちよう】堤が決壊,萱町が流失。同31年,広瀬絣合資会社創立,同年広瀬絣同業組合設立。同34年,広瀬銀行設立。同43年,広瀬・安来間に客馬車開通。大正3年,地区に電灯がつく。同4年,上町から失火415戸を焼失。同7年,広瀬・荒島間に自動車開通。同10年,家畜市場始まる。昭和3年,広瀬・荒島間に広瀬鉄道開通。この年,幸盛祭が始まる。同9年頃の商業は,精米所8・酒造・酒商24,醤油製造販売16・菓子果物商36・豆腐屋10・魚商13・呉服・雑貨15,洋服仕立4,宿屋・料理屋・飲食店あわせて29,荒物・紙商・製紙業者合わせて25,古物商3・薬種屋5など。同9年富田城跡が国の史跡に指定される。同35年,広瀬鉄道が運行停止。この年,町立広瀬病院開院。同37年広瀬絣が無形文化財に指定される。戸数・人口は,明治22年1,047・4,631,同40年923・4,465,大正元年890・4,362,昭和35年の人口3,735。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7413648
最終更新日:2009-03-01




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