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- 福川村(近世)とは
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![]() | 福川村(近世) 江戸期~明治9年の村名勝浦郡のうち勝浦川上流の山間に位置し,同川右岸へ東から辰ケ谷川と柳谷川が流入するなお地質的には中生層の褶曲構造が発達しているため,大型の貝化石(アンモナイト)や植物化石が崖の露頭に多く分布している徳島藩領寛文4年の高辻帳では勝浦山坂本村の枝村として見えるその高は寛文4年の高辻帳,享保元年の高辻帳,天明7年の高辻帳,「天保郷帳」とも同村のうちに含まれる文化10年の阿波国村々御高都帳による当村の高は327石余(民政資料),「旧高旧領」では332石余ですべて蔵入地「阿波志」によれば,耕作地は三等雑水田18町4反余・陸田22町1反余水田は段丘上に開かれていたため,勝浦川の支流から取水する用水に依存した用水には蔭地用水や,柳谷川から取水するあらくら用水,長谷川から取水する陽の地用水などがあり,また湧水も利用したしかし田畑のみで生計を立てるのは困難なため,村民は林業・炭焼き・養蚕・筏流し・日稼ぎなどに依存していたなお村内には藩の御林が設定されていたが,その一部が明治初年に払下げとなり,共有林となった氏神は福川八幡神社で,村内では最も古い天文5年の棟札を有する江戸期には10月10日を祭日としたが,明治40年から同月16日にかわった同社境内には鹿子山神社・秋葉神社が鎮座し,そのほか山神4・不動明王1などがある明治4年高知県,同年名東【みようどう】県を経て,同9年高知県に所属同9年正木村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 福川村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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