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布施


布勢郷「和名抄」に見える郷名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7413713]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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布施【ふせ】

(中世)室町期から見える地名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

布施(中世)
室町期から見える地名葛下【かつげ】・忍海【おしみ】郡のうち①布施室町期頃とみられる金峰山免田田数注文(天理図書館所蔵文書)に「廿七条 七里卅三坪四反内〈二反衛門 今八兵衛五郎大畠,一反四郎次フセ〉八里廿坪三反内〈一反平太郎 一反右馬五郎フセ〉」「廿八条七里三坪一反〈西蓮田中フセ〉」などと,当地の住人が見える国民布施氏の本拠地で,その山城布施城や氏寺置恩寺の所在する現在の新庄町寺口を指す河内金剛寺所蔵「戒経略作法」の治暦3年の奥書に「日本国大和葛下郡字布施寺正名置恩寺」とあり,当地名も平安期にまでさかのぼるものらしい②布施郷文明14年の興福寺七堂灯油荘々注文(寺社雑事記文明14年10月4日条)に「布施郷」として「今井荘・池上荘・藤井荘・正道寺・瓦口荘」の諸荘を掲げ,戦国期の春日進官領納帳(天理図書館所蔵文書)には「布施郷方」として「大田・忍海・北花内・八川・今市・見つほ・なかと・寺口・かいもと・べんの庄」を記載するまた室町後期の越智郷段銭帳(春日大社文書4)によれば,鼻井荘・薑【はじかみ】郷・法城寺・慈光寺などが布施方とされる布施氏の居館と伝えられる新庄城(現新庄町新庄の屋敷山古墳),その山城布施城(新庄町寺口字布施)を中心に,新庄町域から当麻【たいま】町東南部にかけての布施氏勢力範囲を総称していう郷内には平田荘が含まれ,応永6年正月13日付興福寺供養料足段銭収納注文(春日大社文書2)に「平田庄……二百五貫三百七十文 布施方上〈名々支配沙汰之〉……百貫文 布施方直納……七十三貫三百六十八文 布施方 平田ニテ収」と見えるまた戦国末期の天正10年10月10日付売券(輯古帖)には「大和国在所布施之郷一円同御殿様(布施氏)并御同名中入くミなし」とある布施氏は一乗院門跡坊人で国民本姓置始【おきそめ】氏応神天皇皇子大山守命,あるいは布勢君の後裔ともいい,在原氏の流とする説もある(姓氏家系大辞典)一族に高田・笛堂・疋田・中村・今井などの諸氏また与力・被官に今中・池田・細井戸氏など平安期にはすでに平田荘荘官として在地に勢力を扶植し,天永年間には平田荘専当置始久行・行吉が見えるほか,応永年間には荘官布施行忠が見え,中世を通じて平田八荘官の1人として活動した(東大寺文書天永3年12月3日付某処分状/平遺1786,応永14年5月日付平田荘荘官請文/春日大社文書2)至徳元年の長川流鏑馬日記に「布施殿」とあり,春日若宮祭に流鏑馬頭役を勤仕する願主人の平田党に属す大乗院門跡領尺度荘下司も勤めた(大乗院御領段銭日記/内閣大乗院文書)古くは承安4年興福寺大衆に率いられて多武峰寺を攻めた軍勢中に布施源三行弘がいたという(多武峰略記/群書24)応永8年興福寺から寺門段銭を課せられた国民13氏に含まれ,同21年には他の有力衆徒・国民とともに足利義持の召喚に応じて上洛した(寺門事条々聞書/内閣大乗院文書)嘉吉4年かねてから続いていた国民越智家栄と衆徒筒井順永の対立が激化すると,布施行種は越智方につき反筒井氏の大乗院前門跡安位寺経覚の下知をうけて,古市・箸尾氏らとともに筒井氏方と対峙した(経覚私要鈔嘉吉4年正月23日条)享徳2年には筒井方の籠る奈良鬼薗山城を攻略している(同前享徳2年4月13日条)応仁・文明の乱前後,大和国衆は畠山義就与党の越智・古市派と畠山政長与党の筒井・十市派の両陣営に分かれて対立・抗争した布施氏は近隣の箸尾・高田らとともに筒井方に属したため,文正元年9月には布施・高田散郷が越智氏に放火され,同年10月には義就軍の攻撃で,氏寺置恩寺(布施寺)が焼失,箸尾城に逃げこもったが,やがて没落している(寺社雑事記文正元年9月13日・25日・10月17日条)このため,以後平田荘年貢の進納は長く滞った(同前文明9年4月15日・12年12月21日条)文明3年幕府は興福寺に命じて布施播磨守・高田中務丞を在所に還住させようとしたが,ただちに越智方のため布施郷内が放火・大焼,布施氏は河内へ退却を余儀なくされ,同7年にも越智方の国民万歳との合戦に敗れて退いた(同前文明3年7月13日・8月28日・閏8月6日・7年5月23日・6月8日条,経覚私要鈔文明3年7月23日・8月27日条,大乗院日記目録文明7年6月8日条)明応6年筒井順盛が越智らを破るに伴い,布施左京亮もようやく在所に帰住したこの時越智方の国民万歳氏の所領は没収され,その3分の1は布施に恩給された(寺社雑事記明応6年10月1日・7年2月20日条,明応六年記/続群2下)その後,一時赤沢朝経・古市澄胤が国内を支配したが,大和国衆は盟約してこれを放逐,永正2年から布施安芸守行国が国衆の代表たる国判衆に氏の1人として活動している(多聞院日記永正2年11月19日・3年3月15日条)行国の男行盛の代には,天文18年細川晴元と三好長慶の合戦に長慶方として河内に出張するなどしたが,同20年箸尾氏の下に編入されたという(畠山家記)永禄2年松永久秀が大和に入部すると,布施氏は反松永の立場をとって筒井順慶に与同,同8年には筒井を布施城に迎えて,松永方の高田郷を焼払っている同11~12年には松永軍の再三の攻撃をうけたが屈せず,元亀元年筒井順慶の反攻に加わって高田出城を陥れた(多聞院日記永禄8年11月26日・11年10月20日・12年4月8日・9月7日・元亀2年8月7日条,織田文書年未詳11月5日付久秀書状/大日料10-2)天正8年以降には織田信長に出仕,新庄に知行2万石余を有したという(多聞院日記天正8年9月9日条,大和記/続群20下)ついで豊臣秀長に属し,なお元和元年大坂夏の陣に大坂方に属した(大和記/同前)「大和記」によれば,大和国侍八人衆の1人で「新城,布施左京進,知二万二千石程」とある春日大社灯籠の大永6年11月29日付銘文に「施主 布施愛□」,享禄2年3月12日付銘文に「布施安黄守行国」,天文4年8月吉日付銘文に「布施内 今中弥兵衛尉行宣」,永禄8年11月日付銘文に「布施池田壱岐守息女」,天正5年11月9日付銘文に「布施弥七行国」と布施一族・同名の名が見える(奈良市史工芸編)また置恩寺石灯籠銘文には「文亀二年壬戌仲夏天願主置始行国」ともある(県史7)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

布施(中世)
室町期から見える地名葛下【かつげ】・忍海【おしみ】郡のうち①布施室町期頃とみられる金峰山免田田数注文(天理図書館所蔵文書)に「廿七条 七里卅三坪四反内〈二反衛門 今八兵衛五郎大畠,一反四郎次フセ〉八里廿坪三反内〈一反平太郎 一反右馬五郎フセ〉」「廿八条七里三坪一反〈西蓮田中フセ〉」などと,当地の住人が見える国民布施氏の本拠地で,その山城布施城や氏寺置恩寺の所在する現在の新庄町寺口を指す河内金剛寺所蔵「戒経略作法」の治暦3年の奥書に「日本国大和葛下郡字布施寺正名置恩寺」とあり,当地名も平安期にまでさかのぼるものらしい②布施郷文明14年の興福寺七堂灯油荘々注文(寺社雑事記文明14年10月4日条)に「布施郷」として「今井荘・池上荘・藤井荘・正道寺・瓦口荘」の諸荘を掲げ,戦国期の春日進官領納帳(天理図書館所蔵文書)には「布施郷方」として「大田・忍海・北花内・八川・今市・見つほ・なかと・寺口・かいもと・べんの庄」を記載するまた室町後期の越智郷段銭帳(春日大社文書4)によれば,鼻井荘・薑【はじかみ】郷・法城寺・慈光寺などが布施方とされる布施氏の居館と伝えられる新庄城(現新庄町新庄の屋敷山古墳),その山城布施城(新庄町寺口字布施)を中心に,新庄町域から当麻【たいま】町東南部にかけての布施氏勢力範囲を総称していう郷内には平田荘が含まれ,応永6年正月13日付興福寺供養料足段銭収納注文(春日大社文書2)に「平田庄……二百五貫三百七十文 布施方上〈名々支配沙汰之〉……百貫文 布施方直納……七十三貫三百六十八文 布施方 平田ニテ収」と見えるまた戦国末期の天正10年10月10日付売券(輯古帖)には「大和国在所布施之郷一円同御殿様(布施氏)并御同名中入くミなし」とある布施氏は一乗院門跡坊人で国民本姓置始【おきそめ】氏応神天皇皇子大山守命,あるいは布勢君の後裔ともいい,在原氏の流とする説もある(姓氏家系大辞典)一族に高田・笛堂・疋田・中村・今井などの諸氏また与力・被官に今中・池田・細井戸氏など平安期にはすでに平田荘荘官として在地に勢力を扶植し,天永年間には平田荘専当置始久行・行吉が見えるほか,応永年間には荘官布施行忠が見え,中世を通じて平田八荘官の1人として活動した(東大寺文書天永3年12月3日付某処分状/平遺1786,応永14年5月日付平田荘荘官請文/春日大社文書2)至徳元年の長川流鏑馬日記に「布施殿」とあり,春日若宮祭に流鏑馬頭役を勤仕する願主人の平田党に属す大乗院門跡領尺度荘下司も勤めた(大乗院御領段銭日記/内閣大乗院文書)古くは承安4年興福寺大衆に率いられて多武峰寺を攻めた軍勢中に布施源三行弘がいたという(多武峰略記/群書24)応永8年興福寺から寺門段銭を課せられた国民13氏に含まれ,同21年には他の有力衆徒・国民とともに足利義持の召喚に応じて上洛した(寺門事条々聞書/内閣大乗院文書)嘉吉4年かねてから続いていた国民越智家栄と衆徒筒井順永の対立が激化すると,布施行種は越智方につき反筒井氏の大乗院前門跡安位寺経覚の下知をうけて,古市・箸尾氏らとともに筒井氏方と対峙した(経覚私要鈔嘉吉4年正月23日条)享徳2年には筒井方の籠る奈良鬼薗山城を攻略している(同前享徳2年4月13日条)応仁・文明の乱前後,大和国衆は畠山義就与党の越智・古市派と畠山政長与党の筒井・十市派の両陣営に分かれて対立・抗争した布施氏は近隣の箸尾・高田らとともに筒井方に属したため,文正元年9月には布施・高田散郷が越智氏に放火され,同年10月には義就軍の攻撃で,氏寺置恩寺(布施寺)が焼失,箸尾城に逃げこもったが,やがて没落している(寺社雑事記文正元年9月13日・25日・10月17日条)このため,以後平田荘年貢の進納は長く滞った(同前文明9年4月15日・12年12月21日条)文明3年幕府は興福寺に命じて布施播磨守・高田中務丞を在所に還住させようとしたが,ただちに越智方のため布施郷内が放火・大焼,布施氏は河内へ退却を余儀なくされ,同7年にも越智方の国民万歳との合戦に敗れて退いた(同前文明3年7月13日・8月28日・閏8月6日・7年5月23日・6月8日条,経覚私要鈔文明3年7月23日・8月27日条,大乗院日記目録文明7年6月8日条)明応6年筒井順盛が越智らを破るに伴い,布施左京亮もようやく在所に帰住したこの時越智方の国民万歳氏の所領は没収され,その3分の1は布施に恩給された(寺社雑事記明応6年10月1日・7年2月20日条,明応六年記/続群2下)その後,一時赤沢朝経・古市澄胤が国内を支配したが,大和国衆は盟約してこれを放逐,永正2年から布施安芸守行国が国衆の代表たる国判衆に氏の1人として活動している(多聞院日記永正2年11月19日・3年3月15日条)行国の男行盛の代には,天文18年細川晴元と三好長慶の合戦に長慶方として河内に出張するなどしたが,同20年箸尾氏の下に編入されたという(畠山家記)永禄2年松永久秀が大和に入部すると,布施氏は反松永の立場をとって筒井順慶に与同,同8年には筒井を布施城に迎えて,松永方の高田郷を焼払っている同11~12年には松永軍の再三の攻撃をうけたが屈せず,元亀元年筒井順慶の反攻に加わって高田出城を陥れた(多聞院日記永禄8年11月26日・11年10月20日・12年4月8日・9月7日・元亀2年8月7日条,織田文書年未詳11月5日付久秀書状/大日料10-2)天正8年以降には織田信長に出仕,新庄に知行2万石余を有したという(多聞院日記天正8年9月9日条,大和記/続群20下)ついで豊臣秀長に属し,なお元和元年大坂夏の陣に大坂方に属した(大和記/同前)「大和記」によれば,大和国侍八人衆の1人で「新城,布施左京進,知二万二千石程」とある春日大社灯籠の大永6年11月29日付銘文に「施主 布施愛□」,享禄2年3月12日付銘文に「布施安黄守行国」,天文4年8月吉日付銘文に「布施内 今中弥兵衛尉行宣」,永禄8年11月日付銘文に「布施池田壱岐守息女」,天正5年11月9日付銘文に「布施弥七行国」と布施一族・同名の名が見える(奈良市史工芸編)また置恩寺石灯籠銘文には「文亀二年壬戌仲夏天願主置始行国」ともある(県史7)...

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布施荘(中世)
 鎌倉期~室町期に見える荘園名...

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布施村(近世)
 江戸期~明治37年の村名...

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布施御厨(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える御厨名...

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布施【ふせ】
破風山北麓赤谷川下流右岸に位置し,北部を須川川が西流し赤谷川に合流する...

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布施村(中世)
 鎌倉期から見える村名...

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布施村(近世)
 江戸期~明治37年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

布施郷(古代)
 平安期に見える郷名...

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