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矢原村(近世) 江戸期~明治7年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国日野郡のうち小原川の支流黒谷川の流域の山間地に位置する鳥取藩領村高は,拝領高168石余,「元禄郷村帳」168石余,「天保郷帳」231石余(うち新田高63石余),「元治郷村帳」236石余,「旧高旧領」236石余元禄の本免は5.5,「元治郷村帳」の物成は101石余戸口は,「伯耆志」28戸・143人,「文久3年組合帳」29戸「伯耆志」によれば,官倉・義倉が各1あり,鉄山は菅谷山・虫尾山・川毛山の3か所にあり,物産は砂鉄また,林4町余を有し,隣村へは東の小濁【こにご】村へ6町,南の細屋村へ5町,北の大内谷村へ1町,産土神は三社大明神,境内に小祠11があり,ほかに地内に小祠16・辻堂4がある三社大明神は茶屋郷7か村の惣社で,社地は東西10間・南北13間,社は方1間,祭日は9月17日明治初年矢原神社と改称明治4年に起こった奥日野農民一揆の際には矢原神社の前の庄屋久代宅において郡役人と一揆農民とが衝突した明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年細屋・大内谷・大戸の3か村と合併して茶屋村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
矢原村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入郡倉木郷のうち緒方川の南にあって,その支流十角【とすみ】川によって大野郡と境する岡藩領門田【もんでん】組に属す村高は「正保郷帳」156石余,うち田62石余・畑94石余,「見稲簿」同高,「天保郷帳」178石余,「旧高旧領」170石余村位は中河宇田村大庄屋の支配を受けた箙橋,妙見橋の木橋がある城山には中世の土豪入田【にゆうた】親員の拠った津賀牟礼【つがむれ】城址がある明治4年大分県に所属同8年河宇田村ほかと合併して入田村となる以来通称地名として存続現在の竹田市大字入田のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」