ケータイ辞書JLogosロゴ 吉賀郷(中世)


島根県>柿木村

鎌倉期からみえる郷名石見国吉賀郡のうち現在の鹿足【かのあし】郡六日市町・柿木【かきのき】村の地貞応2年3月の「石見国田数注文」(益田家文書/鎌遺3080)に「よしかの郷 八十四丁七反」とみえるのが初見石見国吉賀郡の南半分を占め,弘安5年10月に吉見頼行が吉賀郷を含む500町の田地を与えられて能登国より石見国に下向したといわれる(旧県史6)が,確証はない慶長2年10月の「吉見隆信覚書」(下瀬家文書/旧県史6)にも「吉賀郷」とみえる室町期以後吉賀郷は上・中・下に分けられていたらしく,応永32年5月19日付の「室町将軍家御教書」(萩閥121)には「石見国吉賀上領,同中領,同下領,野下領等」とみえる吉賀上領・同中領・同下領とは吉賀郷上領・同中領・同下領の意と解される「萩閥56」所収の赤木家譜によると,吉見頼行の三男頼見は「従義満公賜三河国上領,依之此所ニ住,従是称号改上領,(中略)永徳二年十月下向於石見国,石州住政之城,仍所之名を上領,中領,下領と号す」という明応4年7月28日付,「足利義材(義稙)御制御教書案写」(小早川家文書/大日古11)にみえる「石見国吉賀上下領 付野上下」も上と同様に考えてよいであろう
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414304
最終更新日:2009-03-01




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