ケータイ辞書JLogosロゴ 青江村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国御野郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」926石余,「天保郷帳」1,042石余,「旧高旧領」1,040石余。また「備陽記」では,高926石余,反別56町余,家数127・人数698。青江新田があり,「備陽国誌」は元禄元年,「福浜村誌」は大庄屋手記により元禄2年の開墾とする。「備陽記」に,御朱印高外として157石余,反別11町7反余,家数3・人数13とある。また同書には,当村の磯でハイ貝が沢山獲れるとあり,ほかに青江鰻も知られていた(福浜村誌)。字丸池(青江田)に刀工鍛冶の屋敷跡の青江屋敷がある(同前)。江戸初期には円照寺(東寺)・妙長寺(中寺)・妙泉寺(西寺)があったが,廃寺年代は未詳。字宮前に,平治元年山城男山八幡の分霊を勧請した天野八幡宮がある。もと八幡宮と称したが,大正9年奥内天満宮と合併して天野八幡宮と改称した。奥内八幡は,天承元年巌井に鎮座していた鹿田荘鎮守鹿田天神社を移したものであった。明治4年岡山県に所属。同5年の学制施行により青江新田に孟秀舎を興し,同19年拡張して孟秀学校とした。同22年閉校。また明治18年御野郡南部17か村を通学区域とする尋常青江小学校ができた。明治12年調の戸数200うち農業100・商業3・漁業97,人数は男419・女365の計784(福浜村誌)。明治8年村内の新田が福田村に合併した。同22年古鹿田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414390
最終更新日:2009-03-01




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