ケータイ辞書JLogosロゴ 青野村(近世)


岡山県>英田町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国勝南郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,元禄10年幕府領(のち播磨三日月藩預り地を経て,寛政6年播磨竜野藩預り地),明治元年からは鶴田【たずた】藩領。村高は,「正保郷帳」141石,「美作鬢鏡」「東作誌」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに201石余。「東作誌」によれば,田71石余・畑109石余・新田20石余,家数71・人数323,神社は天神社・荒神社,堂は地蔵堂2・観音堂,山林は20か所で反別10町3反余,溜池3・井堰1(安蘇村・鳥淵村立会),地字に下青野・谷口が記され,地内に由来不明の舎利塔塚や宇喜多氏の家臣で公文郷21か村の司といわれた里正藤兵衛と医師又玄の祖である谷口喜右衛門尉の塚(若宮と称される)がある。また,同書は谷口荒神ケ瀬に住する怪童子川太郎について記す。鶴田県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。同16年戸長役場設置。同22年公文村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414394
最終更新日:2009-03-01




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