ケータイ辞書JLogosロゴ 浅越村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。上道郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。なお慶長7年9月3日の小早川秀秋知行方目録(記録御用所本古文書1)によると,林正利への加増分2,000石のなかに当村のうち715石が見える。村高は,「領分郷村高辻帳」706石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに909石余。なお「備陽記」では,高706石余,反別45町3反余,寺社ともに家数117,人数583。また文久年間では,高909石余,反別45町余うち田40町3反余・畑4町7反余,家数95・人数405(男219・女186),牛31,寺社は金山八幡宮と真言宗松寿院・同寺中加納院,十一面観音堂1,阿弥陀辻堂1,船2,麦蔵1,医者1人とある(西大寺村誌)。なお松寿院客殿の扁額(昭和45年焼失)は,当村の呉服商大黒屋が阿波から貫名海屋を招いて書かせたものであったという。用水は2系統あり,砂川以西は,当地で砂川から分流する倉安川から引水し,砂川以東は吉井川の鴨越二の口から取水。なお,この倉安川は西流して旭川に注いでおり,岡山方面からの旅人は同川の船便を利用して当地で下船,西大寺へ参詣した。明治4年岡山県に所属。安政6年に寺子屋幼鳴館が開塾されていたが,明治8年浅越小学校が開かれ校舎建築,同19年犀戴小学校へ統合。明治16年戸長役場設置。同22年芳野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414460
最終更新日:2009-03-01




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