ケータイ辞書JLogosロゴ 射越(近代)


岡山県>岡山市

 明治22年〜現在の大字名。昭和44年からは西大寺を冠称。はじめ豊村,昭和28年西大寺市,同44年からは岡山市の大字。明治24年の戸数55,人口は男151・女145,船19。干田川沿いに民家があり,東部は米麦中心の農地が広がっていた。昭和39年吉井川の堤防改修に伴い,吉井川・干田川間に射越団地が建設され民家建設が進行。吉井川対岸の河本町との間に,昭和36年架橋の永久橋雄川橋がある。それ以前の旧雄川橋は川下にあってたびたび流失した。昭和4年字和田に児島公発祥地碑建立。同40年の世帯数77・人口302(男144・女158)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414602
最終更新日:2009-03-01




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