ケータイ辞書JLogosロゴ 出石郷(中世)


岡山県>岡山市

 室町期に見える郷名。御野郡のうち。応永20年8月日の備前国棟別銭沙汰并無沙汰在所注文案(東寺百合文書ヌ)の「一,不及異儀,致沙汰在所分」の1つに「出石郷」とあるのが初見。室町中期の年月日未詳の備前国衙御料所注文(宝鏡寺文書/東大史料影写本)に「一,出石郷領家」と見えるが,他の国衙領と同様,この時期には足利義政の女の入室した尼寺宝鏡寺大慈院の支配下にあった。永享12年3月12日の足利義教御判御教書(赤松春日部家文書)によれば,「備前国出石郷・同国平瀬郷」などが将軍近習の赤松教貞に宛行われ,長禄3年10月19日の足利義政御判御教書(富田仙助氏所蔵文書)では「出石郷并平瀬郷等渡銭」が赤松千代寿に安堵されている。しかし翌年4月2日の足利義政御判御教書(県史未収赤松文書)によれば千代寿は逐電し,その所領は赤松貞長(教貞の弟貞祐か)に安堵されているから,このとき両郷も貞長の手に帰したものと考えられる。江戸期の岡山城下には上出石町・中出石町・下出石町があり,現在の岡山市市街地の中心部,出石町にその名をとどめている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414639
最終更新日:2009-03-01




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