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- 石上郷(古代)とは
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石上郷(古代) 平安期に見える郷名「和名抄」下野国那須郡十二郷の1つ「延喜式」兵部省に駅馬10疋を置いたことが見え,「和名抄」高山寺本駅名にも「磐上」と見える磐上駅は,当郷内の現在の湯津上村湯津上付近にあった東山道の駅家の1つで,前駅の新田駅から磐上駅を通り,黒川駅に連絡したまた,湯津上村湯津上には那須国造碑が現存する那須国造は,「先代旧事本紀」の国造本紀に「纒向日代朝御代,建沼河命孫大臣命定賜国造」と見える那須国造碑の銘文の解釈に関しては諸説あるが,この碑は「康子(庚子)年」つまり文武天皇4年に没した那須直韋提を偲んでその子意斯麻呂らが建立したものである那須直韋提が「永昌元年」すなわち持統天皇3年に「評督」を賜っていることは,彼がそれ以前那須国造であり,この時那須国が那須郡となったため,郡大領となって旧地を管轄したことを示している(県史通史編2)また銘文に「永昌元年」という中国の年号が用いられていること,文体などから,当地の渡来人の存在がうかがわれ,このことは「日本書紀」持統天皇条に新羅からの渡来人を下毛野国に居住させたとあることと合致する(同前)なお,この碑の近くには車塚といわれる瓢形の古墳が2基あり,これらと那須国造との関係も問われている当郷は,現在の湯津上村一帯に比定される(地名辞書) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」