ケータイ辞書JLogosロゴ 市場村(近世)


岡山県>鏡野町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国西北条郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から津山藩領。村高は,拝領高223石余であったが,改出41石余・新開24石余を加えて元禄10年頃には290石余となる(美作国郷村記/県総合文化センター所蔵文書)。「美作鬢鏡」も同高,「天保郷帳」297石余,「美作鏡」290石余,「旧高旧領」297石余。氏神として八幡宮があったが,明治45年香々美の大美弥神社に合祀された。寺院には,円通寺第6代頼秀の開基した同寺末森景山陸蔵寺がある。本尊が六地蔵であったのではじめ六地蔵寺と呼ばれ,天正末年頃火災に遭い六地蔵のうち1体だけが残る。また同寺の西,円応寺の跡には阿弥陀堂があった。香々美川沿いに小道が通じ,北へ行けば藤屋村で伯耆往来へ,南に行けば寺元村で久田道に交わった。津山県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。学校は沢田村に設けられた成修小学に通学。同16年西北条郡第8部戸長役場設置。同22年香々美南村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414671
最終更新日:2009-03-01




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