ケータイ辞書JLogosロゴ 稲岡北荘(中世)


岡山県>久米南町

 鎌倉期〜戦国期に見える荘園名。美作国久米郡のうち。当地は浄土宗の開祖法然源空の生誕地として著名であり,鎌倉期に成立したと推定される「黒谷源空上人伝」(続群9上),「源平盛衰記」「百因縁集」(大日料4‐11)などによれば,法然は美作国の押領使漆間時国の子として長承2年に生まれたが,その誕生の地は「美作ノ国久米ノ南条稲岡庄」「久米南条稲岡北庄」などとされ,「法然上人絵伝」(新修日本絵巻物全集)に描かれた法然生家の絵は著名。誕生寺はその漆間時国居館跡に建てられたものと伝える。また,「法然上人行状画図」(大日料4‐11)には「当庄〈稲岡〉の預所,明石の源内武者定明〈伯耆守源長明か嫡男,堀河院御在位の時の滝口なり〉」ともあるが,この預所を補任した荘園領主は不詳である。嘉元3年4月14日の年紀を有する若一山王寺権現社棟札銘(久米南町誌)には「奉造立,美作国稲岡北,御庄善法寺三所権現」と見える。下って,寛正3年12月30日の兵部少輔(山名政清か)宛室町幕府管領細川勝元施行状写(二階堂氏所蔵文書/紀伊続風土記3)で「稲岡北庄」の熊野山本宮三昧堂衆への沙汰付が命じられている。戦国期になって,永禄12年3月26日の年紀を有する誕生寺御影堂建立奉加帳写(誕生寺文書/県古文書集4)には「作州久米南条稲岡北庄誕生寺」とあり,本願は同寺住持光天祐玉,願主は原田貞佐で,奉加帳には南荘衆・弓削荘衆・垪和【はが】荘衆・打穴【うたの】荘衆や浦上秀盛息・貞佐嫡男尚佐らの名が見える。また,天正12年3月15日の年紀を有する誕生寺御影堂厨子造立棟札銘写(同前)には「作州久米郡稲岡之内北庄,栃社山誕生寺法然上人厨子造立之御人数之事」とあり,原田・三坂・屋葺・池上・小野田・赤木・石原・桜など原田氏一党16人の名が見える。現在の久米南町北庄が当荘の遺称地と考えられ,荘域はこの北庄から中央町南部にかけての地域と推定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414699
最終更新日:2009-03-01




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