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- 井原村(近世)とは
「井原村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 井原村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 井原村(近世) 江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国日野郡のうち九塚川上流井原川の流域一帯に位置する鳥取藩領村高は,拝領高206石余,「元禄郷村帳」206石余,「天保郷帳」241石余(うち新田高34石余),「元治郷村帳」267石余,「旧高旧領」270石余元禄の本免は5.5,「元治郷村帳」の物成は117石余戸口は,「伯耆志」35戸・176人,「文久3年組合帳」33戸鉄山が3か所あった(藩史5)「伯耆志」によれば,産物は砂鉄,隣村へは東の中野村へ10町余,西の大坂村へ20町,北の矢戸村へ1里余,南の備中国哲多郡木谷村へ1里余,産土神は中野村の三体妙見宮,地内には小祠41・辻堂9とある明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年中野・飛時原【ひじはら】・神戸【かど】の3か村と合併して神福【かみふく】村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 井原村(近世) 江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国日野郡のうち日野川上流部に位置する元禄16年までは井野原と書いたという鳥取藩領村高は,拝領高11石余,「元禄郷村帳」11石余,「天保郷帳」33石余(うち新田高22石余),「元治郷村帳」42石余,「旧高旧領」42石余元禄の本免は5.8,「元治郷村帳」の物成は16石余戸口は,寛政8年8戸・弘化3年8戸・嘉永6年43人(日野郡史)「伯耆志」によれば,9戸・46人,鉄山2か所あり,氏神は山王権現天保9年4月御巡見一件諸事控(日野郡史)によれば,鈩【たたら】1か所があり,この運上銀120匁明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年,楢原村・粟谷村・印賀原村と合併して福長村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 井原村(近世) 江戸期の村名豊前国下毛【しもげ】郡のうち山国【やまくに】川の支流跡田【あとだ】川中流右岸に位置する天正15年黒田領,慶長5年中津藩(のち小倉藩)細川領元和8年には上津野組落合手永に属し,村高33石余,家数9・人数19,牛2・馬1(小倉藩人畜改帳)慶長18年の「下毛郡伴天蓮門徒御改帳」では当村の清兵衛がキリシタンとして改めをうけ転宗している寛永年間以降道祖原【さいのはる】村と合併して折元【おりもと】村となったものか現在の下毛郡本耶馬渓【ほんやばけい】町大字折元のうちか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」