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- 今村(中世)とは
「今村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 今村(中世) 鎌倉期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 鎌倉期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 戦国期に見える村名飽田【あきた】郡のうち初見は天文4年の年紀のある年月日未詳の鹿子木親員知行目録(鹿子木文書/県史料中世1)で,鹿子木西荘のうちとして「三町 今村」とあり,隈本城主鹿子木寂心の所領であったその後,鹿子木氏が天文19年に隈本城を退いたため,大友氏の支配下に入ったその後,天文21年と推定される3月20日付の大友義鎮領地預ケ状案および同年月日の大友家老中連署遵行状案(大友家文書録/県史料中世5)には「肥後国飽田郡河尻庄之内,御岳参詣田今村分拾弐町分」と見え,永富弾正忠に知行地として宛行われているなお河尻荘の荘域内には江戸期に2つの今村が見え,飽田今村と称した中牟田村の小村今村と半田今村と称した今村とがあり,現在の熊本市中無田および同今村,もしくは同今のいずれかに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 鎌倉期に見える村名肥前国高来【たかき】郡のうち建保5年9月14日肥前高来郡内宇佐宮領立券文によれば,高来郡内の宇佐宮領として伊福村・大河村と並べて今村が書き出されており,今村の田畠の四至は「東限海,南限三波加野場〈上者傍仕尾,下者仏石〉,北限上者堀,下者楠江,西限横道」とされているまた「田参段〈神田〉畠参段 在家壱家 桑拾本」と記載されている(大川文書/鎌遺2335)比定地については伊福村・大河村の付近の瑞穂町あたりとする説もあるが,東側が海となっている地形からみて島原半島の北部ではなく中南部の東部にあると考えられる「元禄郷帳」には「島原ノ内」として今村の名が見えており,現在の島原市島原(大字なしの地域)付近に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 鎌倉期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 鎌倉期~南北朝期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 南北朝期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 今村(中世) 室町期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」