ケータイ辞書JLogosロゴ 今保村(中世)


岡山県>岡山市

 戦国期に見える村名。備前国津高郡のうち。「比企谷・池上・身延三山参詣道中日記」(大村家文書/県古文書集4)の天文年間と推定される2月26日条に「野々口より今保村,道五り」とあるのが初見。元亀2年と推定される5月7日の小早川隆景書状(小早川家文書)によれば,浦上宗景・篠原長房らが備前国児島を侵し,また「一,今保・妹尾,是又一大事ニ候」とも記されている。下って天正8年と推定される閏3月9日の湯浅将宗宛桂景信書状写(萩藩閥閲録)によれば,毛利勢が備前国辛川に出陣し,「今保表」にも出兵していることが知られる。同年と推定される4月25日の浅沼又兵衛宛宇喜多直家判物写(黄薇古簡集)によれば,この頃宇喜多氏は「今保表」で毛利氏と戦っている。また同10年と推定される卯月13日の小早川隆景書状写(萩藩閥閲録)によれば,毛利勢と羽柴勢が「今保川」付近で戦っている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414770
最終更新日:2009-03-01




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