ケータイ辞書JLogosロゴ 岩屋村(近世)


岡山県>鏡野町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国西北条郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,享保12年から幕府領。村高は,「作陽誌」54石余うち田33石余・畑21石余,元禄10年頃は高64石余うち改出2石余・新開10石余(美作国郷村記/県総合文化センター所蔵文書),「美作鬢鏡」64石余,「天保郷帳」66石余,「美作鏡」「旧高旧領」ともに同高。家数・人数は「作陽誌」で27・120。山村地帯で薪炭・三椏・楮・竹などの林産物が多い。交通は香々美川沿いに道が通じ,南は津山へ,北は急坂の山道を登り越畑村を経て因幡へ出た。山林のうち222町余は村の共有林であったが,明治初年所有権が明確でないことから国有林となり,同10年民有地に戻ったが,同16年再び国有林に編入された。同30年元文年間の絵図を添えて民有地引戻し申請を農商務省に提出したが成功しなかった。なお,岩屋村の山林所有状況は,明治13年が28戸中10町以上3戸・1〜10町20戸・1町未満5戸(山林原野地価下調帳),同20年には29戸中10町以上6戸・1〜10町18戸・1町未満5戸となり(土地台帳),10町以上の山林所有者が増加し,山林依存の村の生活を如実に物語っている。氏神は岩屋神社であったが,明治末年越畑村の八幡神社に合祀され三鏡神社となる。倉敷県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。同22年香々美北村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414824
最終更新日:2009-03-01




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