ケータイ辞書JLogosロゴ 上田村(近世)


岡山県>加茂川町

 江戸期〜明治8年の村名。備前国津高郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村内は東分と西分に分かれ,「備陽国誌」では「上田東」「上田西」と記されるが,郷帳類は上田村一村で記す。村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに903石余,「天保郷帳」1,162石余「旧高旧領」1,147石余。反別と家数・人数は,「備陽記」で104町5反余,172軒・907人。枝村には油浮【ゆぶ】・南上田がある。天水に頼る乏水地で,村内には池16か所が作られ,また本村と枝村南上田に旱魃時用の育麦蔵が置かれていた(吉備温故秘録)。万治2年岡山藩は,旧虎倉城主伊賀氏の遺臣を中心とする土豪百姓の弾圧を目的に,加茂郷内の農民に由緒書などの写しの提出を命じたが,このとき提出した「加茂庄官十三流」のなかに当村の河原氏がいる。同氏は藩の弾圧後も「古庄官」と呼ばれて裃の着用など特権的身分を維持した。西分の黒杭山頂に鎮座する魔法山火雷神社は南蛮国渡来の化生狸を祭神とし,火難・盗難および牛馬の守護神として崇敬を集めたので,弘化2年牛市の開催を藩に嘆願,岡山藩11番目の牛馬市場として認められた。嘉永5年西分に寺子屋が開かれ,寺子数男28・女3(県教育史)。なお寺子屋の教科書として作られた加茂郷往来に,産物として芋・牛蒡などが記される。明治4年岡山県に所属。同5年民家納屋を使用して93番小学を開校。生徒数男27・女7(同前)。同7年東分に郵便物取扱所を設置。同8年西分は上田西村,東分は上田東村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414836
最終更新日:2009-03-01




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