ケータイ辞書JLogosロゴ 上山村(中世)


岡山県>英田町

 南北朝期に見える村名。美作国英多【あいだ】郡河会郷のうち。地名としては鎌倉期から見え,文永2年8月3日の渋谷善心(明重)譲状に「一所 美作国河会郷内下森自上山宮西」とあり,河会郷地頭職を有する渋谷氏の所領として明重から同有重に譲られており,同4年6月16日の関東下知状で安堵されている(入来院家文書)。また弘安3年5月8日の沙弥正善(渋谷有重)譲状(同前)にも当地が見え,渋谷重基に譲られている。正応元年10月日の渋谷明重後家尼寿阿置文案(岡元家文書/入来文書)では,渋谷有重死後の所領公事の配分を定めているが,「一,河会郷内本郷中村・上山下村」とあり,公田4町8反大19歩の公事を平次入道(公重)・性観房(重高)・おくのこせん・たきのこせんで配分している。また貞和2年11月26日の渋谷定円(重基)譲状では「一所 美作国河会郷内下森上山村」と見え,渋谷重勝に譲られ,貞和5年閏6月23日の渋谷重勝同日一筆譲状では「一所 美作国河絵(会)庄内下森上山大足」と見え,渋谷重門に譲られている(入来院家文書)。同地は室町期の応永13年11月15日の渋谷重頼譲状では同重長へ,応永30年8月16日の渋谷重長譲状では同重茂へ,嘉吉元年2月27日の渋谷重長譲状では同重豊へ,永伝元年(延徳2年)8月21日の渋谷重豊譲状では,同重聡へ譲られている(入来院家文書/入来文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414854
最終更新日:2009-03-01




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