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- 宇治郷(古代)とは
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宇治郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名「和名抄」摂津国八部【やたべ】郡五郷の1つ「うじ」を兎路に当て,狩場に由来するとする説がある近世の宇治野村を遺称地とし,六甲山地西部南麓扇状地,宇治川・湊川流域に位置する「行基年譜」によれば,天平2年2月15日行基は「同(摂津)国兎原郡宇治郷」に船息院・尼院を建立したといい,また同書に引用する天平十三年記には「大輪田船息 在摂津国兎原郡宇治」ともある(続々群3)船泊りの建設などは当郷が山陽道の要地であったことをうかがわせる「行基年譜」では当郷を兎原郡所管とするが,天平19年の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳には寺領山地として「摂津国雄伴郡宇治郷宇奈五岳壱地」,池として「摂津国菟原郡宇治郷一塘」を載せ,当郷を雄伴郡内ともしている(北浦定政手沢本/寧遺中)しかし,宇奈五岳の四至に「東限弥奈刀川」「北限伊米野」すなわち湊川・夢野とあることから推察すると,この宇治郷ものちの八部郡内とならざるを得ず,「和名抄」八部郡宇治郷と一致すると考えられる下って,平安期の嘉承2年12月日付摂津国司庁宣では「右衛門督(藤原宗通)家領宇治村石重名田畠」の立券が八部郡司らに命じられているこの石重名田畠は長治3年2月に橘経遠が宗通に寄進したもので,寄進状によれば八部郡7条2~4里,8条3・4里,9条4・5里,10条4・5里の50余か坪,合計30町を占める散在地群で,のち九条家領輪田荘に組み入れられた(九条家文書2・5/図書寮叢刊) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
宇治郷(古代) 奈良期~平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
宇治郷(古代) 平安期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」