ケータイ辞書JLogosロゴ 後山村(近世)


岡山県>東粟倉村

 江戸期〜明治22年の村名。美作国吉野郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,のち慶長8年津山藩領,元禄10年幕府領,延享2年因幡鳥取藩領,同4年常陸土浦藩領,寛政3年からは幕府領。慶長9年の検地で,高380石余,反別は田17町8反余・畑12町7反余,家数86(広畑家文書/東粟倉村史)。その後の村高は,美作国郡村帳(森家先代実録)326石余,「美作鬢鏡」「東作誌」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに382石余。幕府領下では元禄10年古町代官所,享保19年下町代官所,寛政3年丹波久美浜代官所,天保9年但馬生野代官所支配。「東作誌」によれば,本田高380石余・新田高1石余,反別は田17町3反余・畑13町4反余,家数85・人数367,うち男202・女165。用水は後山川およびその支流から引水。ため池1か所。氏神は地内の奥津大明神。生野県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。同20年の戸数111・人口619(東粟倉村史)。明治14年中谷村の民家から道仙寺に小学校移転,同16年青野村に校舎新築,同村の支校と合併。同22年東粟倉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7414893
最終更新日:2009-03-01




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