- JLogos検索辞書>
- 内田村(近世)とは
「内田村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治9年の村名筑後国上妻郡のうち耳納【みのう】山地から南西に広がる広川山地の南側にあり,広川の流れが山間部から平地へ入るところに位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領川瀬組に属す村高は,「元禄国絵図」109石,「在方諸覚書」の古高175石,「天保郷帳」117石余,「旧高旧領」294石余天正17年に筑後の国の検地があり,村号が定まった竿頭山口玄蕃頭,上妻郡の検地頭は長崎伊豆守で,この検地での出目9,000石を毛利秀包に加増され上広川・下広川の両庄は久留米領となった甘木村16町・内田村4町この両村はもと甘木家長累代の領地であったが,そのうち傍爾【ほうじ】1町・佐耆【さいき】3反6畝・十仏田2反・八幡前1反5畝および井上倉石祓川の民宅4か所は吉常村内となり,本古町田宅は津江村内となり,小路丸【こうじまる】1町は豊福村内となり,北戸諏訪5反は宅間田村となり,鹿子【かのこ】1町は長延村となる貞享元年11月字堤谷に新塘を築き,水田5反余の用水となった(家勤記得集)文化4年の本田11町4反余・開田1町余・畑田6反余・畑4町2反余・居屋敷2反余,春免高235石(農政農民史料集)字泉元寺にある天満神社の社殿は寛文4年再興,明治6年村社となり,例祭は11月4日明治9年水原村の一部となる現在の広川町水原の一部... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 内田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」