ケータイ辞書JLogosロゴ 円宗寺(中世)


岡山県>鏡野町

 鎌倉期から見える地名。美作国苫西郡西大野保のうち。円修寺とも書く。寛喜2年8月13日の藤原宗政譲状(皆川文書)によれば,下野国の御家人長沼宗政は嫡子時宗に所領を譲与しているが,そのなかに「美作国西大野保内円宗寺」と見える。下って,応永20年6月25日の長沼義秀譲状(同前)によれば,長沼義秀から早世した嫡子五郎満秀の代わりにその子亀若丸(憲秀)に譲った所領中に「美作国円宗寺上中下三个所地頭職」と見え,この時義秀から亀若丸に譲った所領中には「淡路国守護職」など不知行の地を含むが,当地は知行していたと思われる。当地が室町初期に上・中・下の3か所に分かれていたことが知られるが,現在上円・下円という字名が残るのはその名残と思われる。「蔭涼軒日録」長享2年8月3日条に「以次作州円修寺代官職事白之」と,また,同3年6月2日条に「近日自作州円宗寺代官方有注進,自国方被押彼在所」とあり,当地は美作国守護によって押領されていた(続大成)。当地に円宗寺という寺院がないのに寺院名が地名化している理由は,「吉記」承安4年9月8日条(大成)に山科御所造営用の材木を「円宗寺美作国便補保」に賦課したという記事があり,当地は京都の円宗寺の便補保として成立したものであろう。なお,弘治3年5月14日の成立という美作国献上記(美作古簡集註解下)の西西条郡4郷の1つに「円宗寺別府 上品紙千束 進上弓削氏利」と見えるが,この史料は検討を要する。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415016
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ