ケータイ辞書JLogosロゴ 大谷村(近世)


岡山県>加茂川町

江戸期〜明治8年の村名備前国津高郡のうち宇甘【うかい】川上流,吉備高原の浸食小起伏面上に位置する村名は,村域の東に大きな谷が形成されている地形に由来する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに471石余,「天保郷帳」1,046石余,「旧高旧領」1,041石余反別と家数・人数は,「備陽記」で8町2反余,19軒・88人また枝村に十力・野原・元兼があり,十力は34町2反余で63軒・372人,野原は24町7反余で67軒・384人,元兼は18町3反余で42軒・226人と記される寺子屋の教科書として作られた加茂郷往来に,産物として,元兼の膏薬,野原の蘿蔔,十力の筍柚が見える寛文6年藩主池田光政の寺院淘汰により,真言宗牛頭山宗林寺萩の坊が廃寺となっている(撮要録)延宝元年には大雨により宇甘川が氾濫,川筋を変え通行を困難にしたため,野原の名主日名忠兵衛は88歳の老身ながら大岩を落とし入れて元の川筋に戻したと伝え,忠兵衛岩記念碑が建っているまた天保4年十力の能瀬峰太郎は弘法大師の夢枕の訓に従って,四国から霊砂と詠歌を持ち帰って賀茂郷内の八十八か所の霊場に納め,加茂霊場順拝行事を始めた(加茂川町の文化財)文久3年寺子屋仁志舎が開かれ,寺子数は男18・女12(県教育史)明治4年岡山県に所属同5年元兼に103番小学福山小学を設立生徒数は男15・女13(同前)同8年本村と十力は高谷村と改称また野原は美原村と改称し,元兼は加茂市場村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415142
最終更新日:2009-03-01




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