ケータイ辞書JLogosロゴ 大松山村(近世)


岡山県>吉井町

江戸期〜明治8年の村名備前国赤坂郡のうち旭川支流新庄川流域に位置する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」39石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに46石余「備陽記」によれば,村高39石余,反別5町余,家数8・人数35,古くは大松寺山村と称したといい,枝村に大山・二ツ堂を記す「備陽国誌」によると,当村は山村で,当村の八幡宮は正徳2年大多羅村へ移されて寄宮とされ,寺院は神護景雲年間鑑真創建と伝える真言宗大松山妙光寺があり,寺領4石余,院主として観音院,寺中として福寿院・蓮上院・不動院・普賢院を記す同書に当村に石橋のあることが見え,玉の渡しというとあるなお文禄4年の備前国四拾八ケ寺領并分国中大社領目録写(金山寺文書/県古文書集2)に大松山の10石が記される寛文7年には藩主池田光政の命により,近隣の村々の小社272社を当村に集め寄宮に合祀した(池田光政公伝)備陽郡中手習所并小子之記によると,当村の手習所は,師匠中畑村治助,小子は西上村(石上村)・吉田村などの19人明治4年岡山県に所属同8年石上村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415215
最終更新日:2009-03-01




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