ケータイ辞書JLogosロゴ 沖益新田(近世)


岡山県>岡山市

江戸期〜明治8年の村名備前国上道郡のうち砂川中流右岸に位置する岡山藩領元和元年の一国一城令によって沼城が廃城となり,その跡へ旧宇喜多家臣が土着して開拓した新田と思われる沼村の枝村で,郷帳類では沼村の高に含まれる「備陽記」では沼村の項に当村を記し,その高は御朱印高外として860石余,反別47町8反余,家数30・人数262とある窪地のため悪水抜きに苦しみ,今も残る多くの掘田がその苦闘の一端を物語っている神社に弁才天がある(吉備温故秘録)明治4年岡山県に所属同年悪田畑改正を名目とする藩の租税制度改正の動きや,加えて砂川の洪水により,当村の百姓45名も他村と同調して嘆願書を提出している(難波家文書)同8年枝村の別を廃して沼村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415264
最終更新日:2009-03-01




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