ケータイ辞書JLogosロゴ 奥浦村(近世)


岡山県>牛窓町

 江戸期〜明治8年の村名。邑久郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに249石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに393石余。「備陽記」によれば,岡山京橋まで道程6里,同じく船路8里半,反別40町余,家数142・人数876,池32。神社は春日神社,寺院は現在でも大部分は鹿忍の大船山宝光寺の檀家である。神職は,藩主光政のときに行われた寺院淘汰の際,宝光寺の僧が還俗して田村姓を名のり,寛文6年神官となる。中世以来鹿忍村との関係が深かったと思われる。遠浅で泥土の堆積している錦海湾は白藻の産地で,当村で採れる白藻は品質がすぐれていた。上山田村からも白藻を採りに来ており,宝永3年にはその入会地を巡って争論があった。しかし漁場は狭小で良好でもないため,わずかに白藻や藻貝などを採っていた程度で,村民は畑作中心の農業で生計をたてていたものと思われる。明治4年岡山県に所属。同8年長浜村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415272
最終更新日:2009-03-01




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