ケータイ辞書JLogosロゴ 奥津村(近世)


岡山県>奥津町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国西西条郡のうち。奥津川東村ともいう(作陽誌)。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年津山藩領,享保11年幕府領,文化9年再び津山藩領,天保9年からは幕府領となり津山藩預り地。村高は,「作陽誌」では「奥津川東村」と見え135石うち田117石余・畑17石余,「美作鬢鏡」「天保郷帳」「美作鏡」「旧高旧領」ともに224石余。「作陽誌」では家数29・人数154(男78・女76)。江戸初期の特産物に白土とある。福見・大神宮原・尾路には鉄滓が散乱し,鉄穴流しによって山の地形が変わるほどであった。西々条郡鉄山聞合セ書上帳によれば,元文4年おろ山が操業し津山元魚町黒坂屋が経営した。奥津温泉は平安期の発見ともいわれ,元禄7年津山藩主森長成が別荘を建て湯治湯として利用し,この頃から一般民衆も利用するようになり湯治湯として有名になった。江戸期の主な道路は,津山城下から百乢―養野―福見を通り奥津,上斎原村へ通じるものであった。倉敷県,北条県を経て,明治9年岡山県に所属。同22年奥津村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415287
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ