ケータイ辞書JLogosロゴ 奥津村(近代)


岡山県>奥津町

 明治22年〜昭和34年の自治体名。はじめ西西条郡,明治33年からは苫田郡に所属。奥津・奥津川西・長藤・下斎原の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。役場を奥津川西に設置。明治24年の戸数176,人口は男526・女425,学校1。戸数・人口は,同32年196・1,004,同42年212・1,147,大正8年259・1,347。世帯数・人口は,大正9年264・1,304,同13年223・1,247,昭和25年344・1,727。大正15年5月奥津温泉の錦泉楼から出火し,54棟を全焼して220余人の罹災者を出した。この被害に県内各地から多額の義援金が集められ,衣類・食料などの援助物資は自動車10台分に達したといわれる。大正6年吉井川沿いの大釣道が開通し,百乢―福見―奥津のルートは衰えた。明治末期から大正初期にかけて吉井川に谷合橋・落合橋・大釣橋・久鳥橋などが架けられた。大正12年津山〜奥津間にバスが開通。昭和34年奥津町の一部となり,村制時の4大字は同町の大字に継承。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415288
最終更新日:2009-03-01




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