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「小田郡」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 小田郡【おだぐん】 (古代)古代の郡名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 小田郡(古代) 古代の郡名宮城県遠田【とおだ】郡の東部地区に独立していた郡中世,小田保を称し,戦国期,遠田郡に併合される天平勝宝元年正月4日「日本紀略」,同年4月1日「続日本紀」などに,いわゆる天平産金の郡として出るのが初見であるここには「少田郡」として出るが,小田郡の意味であるしかしこの郡はいわゆる「奥十郡」の1郡で,奥十郡というまとまりをなす言い方は天平14年(ここでは黒川郡以北十一郡とある)から見えるので,それ以前には成立していたしかも,天平産金によって,全国に著聞する郡となったこの産金の功により,小田郡は調庸永免に預かるほか,産金関係者はそれぞれ恩賞に預かったこの年の閏5月11日には,「出金山神主小田郡日下部深淵」という者も外少初位下【げしようそいのげ】という位階を授けられたこれを記念して建てられたのが式内社小田郡黄金山神社である神宮寺として円堂風堂宇も建てられたことが,発掘によって確かめられている産金以外でも,「続日本紀」延暦4年2月7日条には,小田郡大領丸子部勝名が戦功により外従五位下を授けられているまた「日本後紀」延暦16年正月13日条には,小田郡人丸子部稲麻呂らがその他の諸郡の丸子部姓の人たちとともに大伴安積連姓を賜っているこの中には安積【あさか】郡人,丸子部古佐美というのがいるから,これら丸子部姓の人たちは,安積郡から分かれた可能性が強い延暦18年3月7日,登米【とめ】郡を合併している(日本後紀)しかし「延喜式」民部式および「和名抄」ともに登米郡を載せているから,また復活したのである「日本後紀」延暦23年正月19日「小田郡中山柵」とあるところからすれば,小田郡には中山柵もあったのである延暦23年,征戦のための兵糧を中山柵に輸送させたのは,日高見川(北上川)沿いにこれを運ぶためであろう小田郡境を北上川が流れる地形は古代も変わらなかった小田郡には鹿嶋の末社が4座もあった(三代実録,貞観8年正月20日)平安期,承暦4年閏8月5日,小田郡黄金明神に位階を授ける申請があり,先例を尋ねて許可された旨,「水左記」に見える同じことが「帥記」に「今明神」と見えるのは「金【こがね】明神」の誤りであろう「和名抄」郡郷部には,小田・牛甘・石毛・賀美・余戸の5郷をあげる中世は小田保に改まっている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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