ケータイ辞書JLogosロゴ 小津村(近世)


岡山県>牛窓町

江戸期〜明治8年の村名備前国邑久【おく】郡のうち錦海湾の奥に位置する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」「備陽記」ともに462石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに626石余「備陽記」によれば,枝村は粟里郷,岡山京橋まで道程6里半,同じく船路8里半,反別68町余うち塩浜8反余,家数229・人数1,329,池43,船は小猟船から4端帆の船8筆頭家老伊木氏の給地であり,現在でも住民の大部分は尻海村の枝村大土井にある八幡宮の氏子であり,寺院も横尾山静円寺の檀家となっていて,中世以来隣接する現在の邑久町の地域との関連が深い所だった地名からも推察されるように集落は丘陵上かその麓にあり,その下は現在は干拓地となっているが,江戸期は海であった海は遠浅で泥土が堆積しており,また錦海湾の最奥部でもあるため港としては牛窓と比べて利用されることは少なかった「備前記」に「此村磯ニ白藻沢山アリ,小津白藻トテ名物也」とあるように,白藻は多くとれたが,当村の利用できる海域は狭小だったため漁業は主たる産業とはならず,畑作農業中心の村といえる宝永6年の下役人改によると,万治元年に塩浜1町8反余を開発したとあるが,文政7年には水が抜けないため粟利郷塩浜8反余を畑にするよう願い出ている干潟が前進し,海が後退したためであろう明治4年岡山県に所属同8年長浜村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415381
最終更新日:2009-03-01




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