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- 尾原村(近世)とは
「尾原村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 尾原村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 尾原村(近世) 江戸期~明治8年の村名出雲国仁多【にた】郡のうち江戸期は松江藩領村高は,「尾原村御検地帳」では,寛文4年184石余,元禄2年154石余,「大数録」では150石,「天保郷帳」では184石余「有高輪切帳」の輪は,法印輪・下成原輪・大小切輪・安井輪「小原村」とも書き,元禄2年巳3月2日「仁多郡内尾原村山畑帳」,元禄11年寅6月「仁多郡尾原村北原村下布施村寅早稲方人別帳」「大数録」では尾原村,「天保郷帳」では小原村と記す明治4年島根県に所属同8年石村・平田村と合併して平田村となる江戸期はコウゾ,明治期は養蚕,大正期は駄馬をひいて生活していた... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 尾原村(近世) 江戸期~明治8年の村名畠ともいう(豊後国志)豊後国大野郡藤北郷のうち文禄3年岡藩中川領大分川の支流七瀬川右岸に位置する今市組に属した村高は「正保郷帳」35石余,うち田14石余・畑21石余,旱損がち「見稲簿」「天保郷帳」ともに35石余,「旧高旧領」は57石余東と北は肥後領下詰村に接する明治4年大分県に所属同8年荷小野【におの】村・杵ケ原【きねがはる】村と合併して荷尾杵【におき】村となる現在の大分郡野津原【のつはる】町大字荷尾杵のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 尾原村(近世) 江戸期~明治8年の村名小原村とも書く豊後国大野郡三重郷のうち三重川の支流吉田川の上流域に位置する文禄3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年からは臼杵【うすき】藩稲葉領下畑組に所属村高は「正保郷帳」谷平【たにひら】村229石余のうちか「見稲簿」162石余,「天保郷帳」167石余,「旧高旧領」162石余鎮守は天神社・歳神社明治4年に大分県に所属明治8年谷平村ほか9か村と合併,西畑村となる現在の大野郡野津町大字西畑のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 尾原村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」