ケータイ辞書JLogosロゴ 面室村(近世)


岡山県>岡山市

江戸期〜明治8年の村名備前国津高郡のうち安部倉川とも呼ばれる砂川最上流域に位置する宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」349石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに446石余また「備陽記」によれば,高349石余,反別19町6反余,家数27・人数166,池6,枝村に安部倉があり,その反別13町1反余,家数22・人数135,池4本村面室に八幡宮,安部倉に松尾明神があった明治4年岡山県に所属同5年の学制施行により安部倉に学校が開設されたが,同7年富吉小学校と合併,122番小学となり,富吉村へ移転同8年富吉村の枝村狼谷の西部を合併,三和【みと】村と改称
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415437
最終更新日:2009-03-01




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