ケータイ辞書JLogosロゴ 金岡新田村(近世)


岡山県>岡山市

江戸期〜明治22年の村名備前国上道郡のうち吉井川下流右岸に位置する古くは児島湾の海面であったが,江戸初期までには,吉井川などの堆積作用により干潟を形成したと思われる明暦3年岡山藩主池田光政が熊谷源平らに測量を命じ,郡奉行尾関喜右衛門らを普請奉行として万治2年着工,同3年に新田として造成された(池田家文庫)ただし「県郡治誌」は寛文7年成立とし,寛文4年頃の完成説もある岡山藩領村高は,「領分郷村高辻帳」1,751石余,「天保郷帳」1,817石余,「旧高旧領」1,815石余なお「備陽記」では,高は1,751石余,反別132町8反余,家数91・人数551用水は吉井川から取水する鴨越用水を利用「池田家履歴略記」によると,新田入百姓は,当初他国者で耕作に精を入れないため,代わって藩内の僧侶で俗人になった者などを入植させたという寛文11年勧請の天神宮がある明治4年岡山県に所属同21年開成尋常高等小学校開校同22年市制町村制施行による金田村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415634
最終更新日:2009-03-01




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