ケータイ辞書JLogosロゴ 上伊福村(近世)


岡山県>岡山市

 江戸期〜明治22年の村名。備前国御野郡のうち。宇喜多氏,小早川氏の支配を経て,慶長8年から岡山藩領。村高は,「領分郷村高辻帳」2,028石余,「天保郷帳」2,285石余,「旧高旧領」2,282石余。また「備陽記」では,高2,028石余,反別75町3反余,家数99・人数507,枝村に別所・定国・津倉・栄ケ崎があり,うち別所は反別48町8反余,家数91・人数457,栄ケ崎については,宝永7年エイガフクラという場所の悪田を改良して20軒の集落が出来,栄ケ崎と名付けたとある。俗に20軒屋敷と呼ばれ,現伊島町1〜2丁目あたりである。用水は西川用水の分流観音寺川用水を利用。鎮守は伊福部の祖を祀る尾針神社。同社裏の台地に古代祭祀跡と考えられる磐座がある。寺院は日蓮宗大乗山妙林寺。寛永9年池田光政が国替えのとき,鳥取から僧日意を伴い,はじめ城下山崎町に建立,貞享2年当村へ移転してきた。妙善寺合戦後宇喜多氏に仕えた中村弥右衛門の居城八幡山城跡がある。名産は別所砥(和気絹など)。木綿栽培が盛んで,明治2年の畑方木綿作御差別願上帳(安井家文書)によれば,畝数3町6反7畝余,高76石余,物成39石余とある。池田光政による手習所は当村にも1か所設立され,また慶応年間から明治初年にかけて寺子屋が開かれて習字を教えていた。明治4年岡山県に所属。同7年伊福小学校が開設され,同20年尋常伊福小学校となる。同22年伊島村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7415699
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ